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滋賀県 記録的短時間大雨情報【第1号】
27日21:17、滋賀県に記録的短時間大雨情報が発表されました。(彦根地方気象台発表)以下の地域では、猛烈な雨が降っている模様です。20:30までの1時間に 大津市南部平地付近で約80ミリ周辺地域では、土砂災害、低地の浸水、河川の増水や氾濫、落雷や突風といった天候の...つづき・・・
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滋賀県の県庁所在地が大津の理由 何故、滋賀の県庁所在地が大津になったのか教えて...
滋賀県の県庁所在地が大津の理由
- 回答 -
滋賀県史を調べてみると、明治4年の廃藩置県の時期には近江国中に膳所、水口、西大路、山上、宮川、彦根、朝日山の七つの旧藩と大津代官が納めていた天領をまとめた大津県の合計七県が出来ます。この時には旧大名が所有していた飛び地もあったので東京都世田谷区の一部も彦根藩の領地だったので彦根県になっています。また同様に近江国内には他に15県の飛び地が存在しました。
こうした状況を打開するために中央政府は翌明治5年にかけて全国の県を合併や分離、統合による整理を行い、近江国の場合には滋賀郡と蒲生郡以南を大津県に、他の近江国を長浜県にまとめ、明治5年2月には大津県の県庁所在地を大津に、長浜県の県庁所在地はそれまでの彦根にあった仮県庁を長浜に移しています。
その後、明治5年9月に大津県と長浜県は合併し、現在の滋賀県の母体(後に福井県に分離統合された部分がある)ができます。その際、県庁所在地は大津となりました。理由は大津代官所があったからです。
彦根市が県庁所在地にならなかった理由は、上記の滋賀県合併の時点で長浜県の県庁所在地でなかったことがあります。これは彦根市は井伊家という大藩の膝元であり、明治政府に遺恨を持つ者も報告されていて治安の問題から敬遠されたこと。また大津は古代天智天皇によって近江京が置かれた皇室由来の土地でもあり、大津に県庁が置かれた。とされます。
実際に、大津市は県の西部に偏りすぎていて、人口その他の面からも彦根市に県庁を移転するべきだ。という議論は明治以来十数回生じています。
(この記事は「Yahoo知恵袋」より引用させて頂きました)
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... 滋賀県と京都府からは、琵琶湖博物館が参加した。 5月下旬、琵琶湖博物館にチョウの標本10箱、計千点が届いた。 ...
…つづき
(この記事は滋賀(京都新聞)から引用させて頂きました)